ゆれるきれいなひとつ









 随分と冷え込んだ夜の事だった。雪でも降るのか、なんて云っていたのはリーガルだったと思う。宿屋の窓から見上げた空は分厚い雲で月を隠していた。だけど、その雲の向こう側の星空がぐるぐると廻っている様な気がしたので、多分雪は降らないんだろうなと、何となく思った。理屈とか根拠とかは、俺には全然わからない次元の出来事だ。

「ハニー」

 背後から俺を呼ぶ声が聞こえた。見上げていた空から視線を外して、そういえば寒いなと思ってカーテンを閉めた。俺を呼んだのはゼロスだった。というか、俺をハニーというのはゼロスしかいない。ゼロスが後ろ手でパタンと扉を閉めた。その扉の向こうの廊下から特別何か音がしていたわけでもないけど、扉を閉めると部屋には二人きりで、なんだかとても静かになったような気になった。
 宿屋に泊まる時、基本的には二人一部屋だ。いつもはジーニアスと一緒なのだけど、今日は珍しくゼロスが俺と一緒がいいと云い出して、俺には断る理由もなかったしジーニアスはリーガルがテセアラについて聞かせてくれるというので大喜びで承諾した。勉強好きの考えはわからない。
「遅かったな、どこ行ってたんだ?」
「リフィル様に呼び出し食らってた。ハニーの勉強を、ちゃんと見ろって」
「うげ」
 そういうゼロスの手には、リフィル先生に渡されたであろう問題集が握られていた。野宿のときは周囲の気配に気をつけなきゃいけないからと滅多に勉強をすることはないが、どうしてこう屋根がある場所に着くとリフィル先生は人に勉強させたがるんだろう。
「最近あんましやってなかったからな。ホラ、座れ」
 ベッドの傍の机と椅子を指してゼロスが云った。勉強は嫌だと思ったけど、だからといってやらないわけにもいかない。それに、こういう場合にゼロスから逃げ出せたことなんてないのだ。リフィル先生より強敵だなんて思ってもみなかったから驚いた。
「前やったトコ、何も覚えてねェけど」
「だろうと思ったさ。復習からな」
 ペラペラとページをめくって、俺でも何とか理解出来そうなところを出して、ゼロスがペンを俺に渡した。この辺は出来るだろ、と云って突きつけられるので出来ませんとも云えずに真面目に問題へと視線をやった。ゼロスは少し目を細めて俺の手元辺りを見ていた。けどたまに、その視線が窓へ向かうのが気になったけど、俺は気づいていない振りをして問題を読んでいった。大半は、読むだけで終わりになった。
「…ここ、さっき教えたよな」
「…そうだっけ」
「そうだっけじゃねェよ!ったく、ロイド君は…いいか、よく聞けよ」
 読むだけで終わりになった問題はゼロスが細かく教えてくれたけど、半分は頭に入りきらなくて今のような会話が何度もされることになる。でも、何度目でもゼロスは丁寧に教えてくれるので、俺としてもやりやすいというか、勉強する気にはなる。
 する気になったからといって、出来るわけではないけれど。
「あーーっ、飽きた、もうダメだ!」
「飽きたって…まだ二時間もやってねェでしょうが」
「でも飽きた!もう無理だ!」
 机の隅にペンを放り出して椅子の背もたれにべったりと背中をくっつける。飽きたものは飽きたんだ、一時間以上やれただけ充分だと俺は思う。
 その俺の態度を見て、ゼロスは一度溜息を吐いたけど、すぐに問題集を閉じて俺と同じように机の隅に放り投げた。ペンの上に落ちていったそれはバサリと音を立てた。
「ま、ロイド君ならこれで充分か。おつかれさん」
「おつかれさま。もう寝てもいいのか?」
 勉強すると眠くなるからいけない。俺はゼロスの目を見ながらそう云った。普段のゼロスなら、お疲れの後はすぐにおやすみなのに、今日はその言葉がなかった。でもゼロスは椅子から立ち上がってベッドへと向かっていく。そしてそこに座ると、自分の隣を手で叩いて俺に座れと促した。
「?」
 よくわからないけど、従っておく。椅子から真直ぐにベッドに向かって、ゼロスの横に座ると満足そうな笑顔が見えた。
「なんだよ」
「ちょっとお話しようぜハニー。俺様まだ眠くないんだ」
 普段なら眠くないなら夜中に一人でふらりと何処かへ出掛けてしまうくせに。妙に甘えたようなその声に、俺は首を傾げながらも一応付き合うことにした。なんにしても、夜中に一人で外出されるよりはマシだ。俺達は手配されてる身なんだし、ゼロスはそれでなくとも此処テセアラでは有名人なのだし。
 それに、俺とゼロスは二人きりで話をした事が少ない。外を歩くときはいつもコレットやジーニアスが傍にいたし、ゼロスは一番後ろを歩いていたから。話す回数はあっても二人ではなかった。だから今のような状況は、凄く珍しいのかもしれない。
 でも、ゼロスと二人でいることに特別違和感は感じなかった。
 話す内容は他愛もないことだったけど、ゼロスと話すのは楽しい。それに、ゼロスが何かリアクションを取る度に揺れる赤い髪が、綺麗だと思った。生きている、そんな風な色で、何を飾っても似合うと思った。今度ゼロスに髪飾りでも作ろうかと考えて、考えるうちにそっちに夢中になって会話が途切れた。突然返ってこなくなった俺の返事にゼロスが眉を顰めた。
「ごめ、…考え事してた」
「何をー?」
 慌てて謝ったけどゼロスは不満そうだ。隠しても許してくれそうにないと思ったから、素直に考えていたことを全部云ったら、ゼロスは一瞬驚いたような顔をしたけど、すぐに笑ってくれた。
「ハニーは仕方ないなァ……楽しみにしてるぜ」
「あ、おぅ!まかせてくれ!」
 云った瞬間口元を抑えられた。声が大きすぎた。確か隣の部屋はジーニアスとリーガルだから、まァ、多少は多めに見てくれるだろう。気をつけるという意を込めて首を縦に振ったら口元からゼロスの手が離れていった。
「…ホント、仕方ねェなァ…」
「わ、悪かったよ。なんか、嬉しかったんだよ」
 何が、とゼロスが呟いたけど、それには黙っておいた。
 楽しみにしてるって事は、ちゃんとつけてもらえるって事だと思うから。それが嬉しかったなんて云っても、多分変な顔をされるだけだと思った。
「………髪、ハニーの方が綺麗だと思うぜ」
 不意に、ポツリとゼロスが呟いた。
「そんなことねェよ」
「あるさ。自分で持ってるもんって、案外気付かないもんだけどな」
 だったらそれはゼロスの事だろう。云う前に、その赤い髪を撫でてやった。ゼロスは驚いた顔をして俺から離れようとしたけど、頭を撫でていた手でそれを制止した。まだ、驚いた顔をしている。
「綺麗だ」
 ゼロスの青い瞳に向かって真直ぐに云った。
「…ば、」
 うろたえているのがわかる。こんなに綺麗なのに、褒められ慣れてないなんてなんか変だ。
「馬鹿野郎、そーゆーのは女の子口説く時云えよな!」
「いいんだよ、ゼロスで」
「よくねーよ!」
 ゼロスはそう言ったけど嫌がってるような顔はしていなかった。少し頬が赤い。喜ばれたんだろうか、そう言えばまた違うかもしれない。けど、嫌がられてはいない。これはわかった。

「ゼロスに似合うの、作るから、待ってろよな」

 綺麗な赤い髪を一房掴んで指に絡ませる。サラサラしてるけど、ふわふわしてる。
 その不思議な感触がまるでゼロス自身みたいだと思いながら、何故か髪よりも真っ赤になって俯いてしまったゼロスをみつめていたら、暫くたってやっと顔を上げたゼロスに怒られた。ゼロスが怒った理由はわからないけど、今の時間が俺にはすごく楽しかったから笑って流した。
 ゼロスが赤くなった理由は、明日リフィル先生にでも聞いてみよう。
 


 

20070718.ロイゼロ?ロイドはともかく、ゼロスはロイドが好きだと思う、みたいな話。