む音

 

 

 

 きっとこれは煙草の吸いすぎだろうと、中学生ながらに自分の体に言い聞かせた。
 どれくらい経ったかわからない。わからないが、多分短い間だと思う。胸の辺りが軋んでいる。キシキシとか細い音をたてている。痛くはない、ただ苦しかった。これが何時間も続いているようであればきっと今頃自分は死んでいる。呼吸が出来ないような、粘着質のものが咽喉に絡みつくような、周りから骨を圧迫されるような、そんな苦しさだ。多分肺だ、肺が悲鳴をあげている。最近はどうにも頭にかかった靄のような感覚が晴れなくて通常の三倍は煙草を吸っていた。そのせいだと、自分に言い聞かせている。
 原因がわかれば少しくらいはマシになる、そう思っていた。
 だけど原因を自分に言い聞かせてもちっとも治まりやしない。苦しい。このままだと死ぬか泣き出すか、どっちかをする気がする。死にたくはないが大勢の前で泣くくらいなら死んでやる。ああそうだ、大勢、人がいるはずがない。ココは俺の部屋で、時間だって真夜中だ。誰もいないし誰にも声は届かない。なら泣いてしまおう。瞬間目じりから生暖かい液体が零れた。それはそのまま俺の頭の下にある枕へと吸い込まれて消えた。死ぬか泣くか、なのに涙はそれしか出なかった。代わりに鼻の奥と咽喉が熱くなって更に呼吸が困難になる。これは死ぬな。そう思った。

 死ぬ前に何かすることがあっただろうか。

 後悔はしたくないので考えたが、頭の中で言葉が固まらなかった。無意識に煙草へと手を伸ばして咥えて火をつける。吸い込んで、吐き出す。窓からの月明かりしかない部屋の中、天井へとのぼった白い煙はよく見えなかった。煙草の先の赤い火は爛々と輝いている。それを見つめて、徐々に長さを作る黒っぽい灰を見て、一つの言葉が思い当たった。
 何処に置いたか、夕方頃の記憶を引っ張り出して鞄の中という答えを得た。携帯電話を取り出す。初めて会う人には好き嫌い興味のあるなし関係なく電話番号は聞いていた。既に自分じゃ管理しきれていないその番号の中から一度も使ったことのない番号を引き出す。
 時間は真夜中、俺だって普段は寝ているような時間に、気付いてくれるだろうか。3、4、5…続くコール音、背中に嫌な汗を掻いている。ひんやりと空気が冷たい。諦めようかと目を閉じて煙草を咥えた瞬間だった。向こう側から酷く聞き取り辛い小さな声が聞こえた。寝起きなんだろう、当然だ、声が微かに掠れている。煙草はすぐに灰皿へと押し付けた。
「あ、の、俺、千石、山吹の。覚えてる?」
 覚えてます、なんですか、と彼は途切れ途切れに言った。その声が煙草の煙のように体の中に広がる。軋む音が徐々に遠ざかる。確かに煙草のおかげでここ数日で俺の健康は格段に失われただろう。だけどそれが原因ではなかった。頭に靄がかかったのはテニスの試合会場でその姿を見たときからだ。意識はしていなかったけど、心の奥にずっと引っかかっていたんだ。俯いた拍子に頬に掛かった黒髪を思い出す。

「君の事が好きです」
 

 軋んだ音は肺じゃなくて心臓のものだった。 
 20060905.