おめでとうと、君が笑った
随分と、懐かしい夢をみた気がする。
街灯
もほとんどない田舎道は夜も九時をすぎれば真っ暗で、点々とみえる住宅の窓からもれる光を頼りに不安を片手に細心の注意を払って歩くしかない。田舎なんだ
から月明かりが、なんてよくいわれるけれど満月でもなければ不安を振り払えるほどの光源になるわけでもない。そんな道を、一年に一度、彼は何に臆すること
もなく平然と歩くのだ。鼻歌まじりに実に楽しそうに。その姿を見たとき僕は彼には怖いものひとつ存在しないのだろうと馬鹿げた理想のヒーロー像を抱いたも
のだ。実際は、彼だって暗闇は怖いだろうし恐れるものだってあったろう、でも当時の僕にはわからなかったし彼だってわからせる気はなかったと思う。そうい
う性格だ、そういう人間だ。
「帝人ー、もしかして怖いのかー?」 「こっ、こわくなんかないよ!…だいじょぶだよ…」
そうかー?と信じていませんという顔をして彼、−正臣が僕の右手をつかんだ。力強くぎゅっとにぎってくれる。たったそれだけで暗闇の恐怖を取り去ってくれ
るものだからいっそう僕の中での正臣はヒーローになっていったんだ。この手がある限り安心だと、盲目的なまでに信じてしまう。
「…おこられないかな、夜中に家、抜け出したりして…」 「お前は毎年ソレだな帝人、だいじょーぶだって、今までいっかいもバレてないだろ」 「そうだけど…」 「じゃあ今年も大丈夫だ!」
何の根拠もない、だけど正臣は自信満々に僕の手を引いたまま暗い夜道を真っ直ぐにすすんでいく。目的地はそう遠くはないだろう、毎年この日になると必ず正
臣は僕の家に来て二階にある僕の部屋の窓までよじのぼって(小学生ながら無駄に身体能力が高くて実はそこに憧れていた、なんて、いまだに正臣には言えてい
ない)、静かにそのガラスを叩く。そうして僕が窓を開けるとにっこりと、真夜中だというのに太陽のようににっこりと笑って、「星、みにいこーぜ」と、毎年
変わらぬ言葉をささやくのだ。 さいしょは驚いた。突然の登場にもその言葉の意味不明さ加減にも。どうして、と正臣の小声につられて音量を下げて尋ねたとき、正臣はただただ笑って「だってきょうは帝人の誕生日だろ」と得意げに言ってみせてくれた。
正直、誕生日だ星をみにいこう!という流れになった理由についてはわからない。どうしてというのはどちらかといえばその理由のほうを尋ねたのだけれどそん
な僕の意思は正臣には伝わらなかったようで、だけど改めて尋ねたところできっと「なんとなく」とか「男のすることに理由なんてない」とか、ようは思い付き
であるといったことしか言わないだろうことは当時のみじかい付き合いながらも察することはできたからそれ以降このことに関して問うたことはない。それから
毎年、0時きっかりに訪れる正臣に導かれるまま僕は星をみるために彼と二人、夜の道を歩きつづけている。
「今年はどこでみるの?」 「んー、去年の高台もよかったけど、知ってるか?学校の裏の山にいいとこがあるんだ」 「え、あぶなくないの?」 「俺がいるからへーきへーき」
大人に見つからないように道路のなるべく隅によりながら小さい声で話す。そういいながらも目的を諦める気はない僕は正臣の隣を歩きつづけている。それに山
といってもしょっちゅうたくさんの人が訪れるところで道も補強されていてさした危険もないのだ。とりあえず夜であるから、暗いという危険性だけは十分にあ
るのだけれど。それでも、正臣がいればその言葉通りに平気なんだろうなと、つないだままの手のぬくもりを感じながらおもった。 それからも他愛の
ない会話を変わらない小声で交わしながら、気がつけば正臣のいう「いいとこ」へとたどりついていた。それほど険しいわけでもない、散歩道にも近い山道を少
し外れた先にあるほんのすこしの狭い空間。ちょうど僕たちが二人座れる程度のスペースがぽっかりとできていてその周りを背の高くも低くもない木々が取り囲
んでいた。その木々の枝がまるでそうあるべくしてあるかのように空をさえぎらないように分かれて伸びて、星の輝く夜空が切り取られたように浮かんでいた。
木々の額縁に収められているかのようで、なんとなく昔よんだ絵本に出てくる夜空を連想させた。
そういえば、星といっても黄色くはないんだなと実感したのは、正臣とはじめての誕生日に星をみた時だった気がする。空に点々と瞬く光の粒をみながら、そんなことを思い出した。
「ど?キレーだろー!」 「うん、すごく…すごいね正臣」 「だろ?すごいんだよ」
自慢げに胸を張りながら正臣が笑った。笑顔。その嬉しそうな笑顔が大好きだった。星々のあわい光に照らされてみえるその表情が昼間とは違ってみえて、なんとなく昼間より明るくみえて、
「なぁ帝人」
大好きだった
「誕生日、おめでとうな」
毎年それは変わることはなくて毎年こうやって二人並んで星を見上げて同じようにその笑顔を眺めるんだと、僕はそれこそ根拠もないのに思い込んでいた。信じ込んでいた。
「ありがとう、正臣」
−−−随分と、懐かしい夢を、みた気がする。
目がさめるとあたりは暗闇で、それでもそうとわかる古びた茶色の天井がうっすらとみえた。いつもどおりの目覚め。なにも変わらない、高校生活を始めてから
ずっと共にある僕の部屋だ。一瞬星空じゃない、とそんな言葉が脳裏をよぎったけれど当然だ。もしもいま星がみえたら屋根ごと天井が吹っ飛んでいることにな
る。どうしてそんなことを思ったのかわからなかった。 (…夢、…みた気がする) 思い出せないけれど。どうしてだろう、胸が熱い。泣き出したいような、笑い出したいような、不思議な気分だった。 「?」
ふと布団の中から持ち上げた右手が、何か物足りないような、寂しいような気がした。…本当に今日はわけがわからない。時計をみたらまだ0時前で、そういえ
ば疲れていたからいつもより大分早くに布団に入ったことを思い出した。それから考えて、まだ二時間も寝ていない。もう一度ねむりなおそうと右手を持ち上げ
たときに胸元よりも下がってしまった掛け布団を口を埋める辺りまで掛けなおして、大して重くもないまぶたを閉じた。はやく眠ってしまいたい。そんな思いば
かりが渦巻いて、やけに時計の秒針の音が大きく響いてきこえた。(ねむりたいのに)まるで寝るなとでもいわれているようで徐々に眠気が覚めていく。疲れて
いる筈なのに。 はぁ、と無意識にため息がこぼれてしかたなく起き上がった。あたたかいものでも飲めば気分が変わるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながらなんとはなしに僕の眠りの邪魔をした時計を見遣った。 0時丁度。頭の奥で何かが鳴り響いたような気がする。なんだっていうんだ、なんだって…
コンコン、
「………」 窓が、叩かれた、音がした。 一瞬にして昔の記憶が襲い掛かってくる。思い出す思い出す思い出す。あの日の夜空を、星を、暗い暗い道を、引いてくれた手を、正臣の、あの、笑顔を、
「正臣!」
カーテンごと勢いよく開いた窓のその先には何もなくて、身を乗り出して周囲を探ってもいつもと変わらぬ風景だけが広がっていた。だけど、それでもふしぎと
僕の胸の中には失望も絶望も生まれなかった。あたたかい何かで満たされていくのがわかる。だって、外気にさらされて冷たい窓の枠を握り締めているというの
に、右手が、あたたかいんだ。
まるで君といっしょに歩いたあの日々のように。
「…そうだ」
星を、みにいこう。 ひとりでもかまわない。隣に正臣がいなくても、遠い遠い隣にはいるのだから、同じ星を、みているのだから、…だから、
「…誕生日、おめでとう」
あの日正臣が僕にいってくれた言葉をつぶやく。おめでとう、正臣の代わりに、僕の為につぶやいた。
池袋の夜は明るい、それでも探せばあの日々のような夜空があるだろう。正臣の笑顔を照らし出すあの夜空が。きらきらと輝く星が、どこかには。
僕はそれに、会いに行こう。 あの手に引かれて見上げた、一緒にみつめた、あの星空に会いに−−−−−
(今度は僕が、正臣の手を引いてつれていってあげるからね)
-------- 帝人君誕生日おめでとうございますはやくしあわせになれ! ちなみに正臣君は超ダッシュで逃げました。将軍ならではの瞬発力を無駄に発揮。 20110321.
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